紙苑

太陽はひとつ 日本はひとつ-------『紙縁』第19集に寄せて

 沖縄での全国展のテーマ「太陽はひとつ 日本はひとつ」については、特別の経緯と意味があり、故亀井健三主宰の遺志が大きく係わっていますので、ご紹介します。
 戦後、中国大陸(旧満州)から難民として引き揚げてきた若き主宰は、地元島根県の高校で教職に就きます。自らの戦争体験を通して若者達に伝え続けたのは、戦争を忌避し、平和を希求することでした。その教師生活の途上で、後年彼の人生を大きく変えることになる運命的な出会い ------------ ちぎり絵と出会います。
 沖縄本土復帰前、1970年、勤務先と姉妹関係の沖縄名護高校への友好訪問を率先して準備、しかし本人だけ渡航許可が下りずひとり断念。思いの丈をちぎり絵「ひまわり」に込めて生徒に託します。「太陽はひとつ 日本はひとつ」と力強く裏書きをして。(そして10年後、図書館の壁で微笑むこの作品に本人自ら再会しています。しかし、諸般の事情によりその後所在不明となります。)
 1974年、定年目前に職を辞し、ちぎり絵の普及活動に邁進、その過程で念願の沖縄入り。80年代初めから数年間、集中的に講習をし指導者を育成、その後を彼らに託します。
 月日は流れて ------------ 1999年、80歳。大病を得た主宰は、しきりに沖縄再訪を願い、全国展を夢見るようになります。
 2002年、余命を自覚したのでしょうか。「置き去りにした娘達がどんな風に成長しているか、見届けたい」と、最後の力を振り絞って、沖縄へ向かいます。そこで見たものは ------------ 美しく、逞しく成長を遂げたちぎり絵の姿でした。感銘を受けた主宰は、沖縄全国展の夢を遺して、半年後この世を去ります。
 幾多の困難があったことでしょう。しかし、しっかりと主宰の夢を受けとめた方々が、まず奔走の末、この幻だった「ひまわり」を発見されます。やがて全県下の心が結集して、実行委員会を組織、とうとう今日という日を迎えることとなったのです。
 実行委員長の宮良タズ子さん、夫君の高升さん、長い長い道のりでしたね。そして各サークル代表の當真百合子さん、名城嘉子さん、平良節子さん、また実行委員会に参加してくださった皆様、惜しみない助力を頂きました皆様、ちぎり絵を今日まで育ててくださった先輩の皆様、本当にありがとうございます。
 思えばこの沖縄の地は、夢と「紙縁」が行き交う場所です。
 現在この地で芭蕉紙を漉かれる安慶名清氏の師は、芭蕉紙を再興された勝公彦氏であり、再興の夢はその師人間国宝安部榮四郎氏から手渡されたもの。そのまた師は民芸運動のリーダー柳宗悦氏。彼は沖縄の人と文化を深く愛し、戦時中当局による沖縄語弾圧に激しく抗議した人でした。主宰も安部榮四郎氏の導きで、ちぎり絵の世界に入りました。
 私たちは、こんな幸せな「紙縁」で結ばれているのです。さあ、この地から再び歩き始めましょう。さらなる「紙縁」を契るために。 「太陽はひとつ 日本はひとつ」いえ、「世界はひとつ」の夢に向かって。

 2007年 うりずんの季節に

全国和紙ちぎり絵サークル 
本部長 宮 崎 純 子 

紙苑第19集作品の一部紹介

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